孤独や恐れは「自分の人生は、自分で決められる」と思えたら減る、という話。
うちの犬の話ですが、人にも当てはまる話です。
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犬が、おさんぽのときに道端に落ちている小石を拾い食いします。
最初は、口を開けさせて、指を入れて石をかき出していたのですが、どんどんエスカレート…!
石を見つけると、片っぱしから食べようとするようになりました。
それどころか、口を開かせようとすると、激しく抵抗して、噛みついてくるようになったのです。
本気で。
犬「ウガアアア!!」
「ガブウウウウウ!!」
と…。
えええ…。
私と旦那氏、流血。
実際のところ、犬が小石を食べるくらいなら、身体にあまり問題はありません。
(うんぴで出るので。)
問題は、拾い食いがクセになると、この先、タバコの吸いがらとか、良くないものを食べるかもしれないこと。
注意されたときに、飼い主を攻撃すること。
どうして石を食べるの?
おいしくないでしょう?
なんでも口に入れたいお年頃なの?
エサを食べたばかりだけど、もっと何か食べたいの?
犬に聞いてみました。
そしたら、目的は石を食べること自体ではありませんでした。
「私たちに、激しく抵抗するため」
でした。
ん~?
どういうこと?
犬には、
- ゴールデンレトリバーのように、人なつっこくて、たくさんじゃれたい気持ち。
- 母犬と切り離されて、心細くてたまらない気持ち。
2つの気持ちがあるようでした。
(「母犬と切り離されて」というのは、我が家にお迎えされたという意味ではなくて、出産で「母犬の胎内から外の世界に出た」という意味で。)
孤独で、心細くて、不安で、怖くてたまらない。
宇宙空間に、ポーンとひとり、手ぶらで放り出された感覚。
だから、肩ひじをはる。
ムキになって、自分を押し通そうとする。
「自分の行動は、誰にも侵させない!!」
そんな感覚。
そんな気持ちで過ごしていたある日、ふと石を口に入れた。
そしたら、私と旦那氏に、無理矢理口の中から出させられた。
「自分の行動が侵害された!!」
「自分の欲求が通らなかった!!」
恐怖から来る、激しい執着が、ブワーッとふきあがったようでした。
石を食べることではなくて、自分の行動を通すことへの執着。
で、
「石!!ぜんぶぜんぶ!!口に入れてやる!!!!!」
となったようでした。
そんな…orz
すこし頭を抱えました。
犬を通して、自分を見たのです。
私にも、こういうところがある、、、と。
私は、自分の行動を「制限」されると、ぶわっと拒絶感がふきだすことがあります。
「それは良いとは思わないなー。」
と軽く流せなくて、徹底的に論破しようとすることがあったり。
(↑私は怒ると激情するのではなくて、淡々と論破しようとするタイプです。)
私が持つ「拒絶感」は、これまでの人生で、無理矢理受け入れさせられ続けた、膨大な不快感から来るものです。
「穏やかに生きたい」と思う自分の意思と、現実が乖離しすぎて、分離感が生まれていました。
(参考記事:旧ブログ)
分離感=孤独感。
本当の自分と、実際の自分が、離れていると、孤独になります。
私の場合、過去の不快感を今まで以上にごっそり取りのぞいて、
「自分の安全は保証されている。」
「自分で自分の行動を決められる。」
と、もっと思えたら、世界の見え方が、また変わるのでしょう。
とりあえず、自分に関してはエムレスで解消することにしました。
犬自身の孤独感に関してはどうしよう?と思いましたが。
自分が変われば、世界も変わります。
私が私を癒すことで、犬の見え方も、犬の行動自体も変わっていくのかもしれません。
今後の変化を観察しようと思いました。
▼私の足をイスにする犬…!
おいい、と思いつつ、小さな重みとあたたかさがたまらないです。