人と話すときになぜか変に力が入ってしまう、という悩みが解消できた。

「人と話すときに、なぜか力が入ってしまう。」

「リラックスできない。」

「力が抜けない。」

「すごく疲れてしまう。」

「自然体で喋れるようになりたい。」

という人に。

***

 

私もこんな人↑だった。

 

 

人と話すときに、なぜか変に力が入ってしまう。

常に交感神経が優位になっていて、変にテンションが上がってしまったり、でもコントロールできなくて困ったり。

うっかりとんちんかんなことを言ってしまったり。

ずっと力が入ってるから、声が突発的に大きくなることもあって、どうして?って思ったり。

 

 

緊張するタイプ、というわけじゃない。

慣れてる人とは、リラックスして、淡々と落ち着いたトーンで話せる。

 

 

「コミュ障」っていう言葉で片付けてしまえば早いけれど、そうくくるにはひどく雑な感じがした。

 

 

理由が分からなかったけれど、色々探っていったら最近分かった。

結論原因は、相手のふるまいに対する過度な期待と不安だった…!!

 

 

私は、気づいたときには、

「隣人を愛せ。」

「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ。(仕返しをしてはいけない。)」

「自分に攻撃をした者だとしても、許さない者は愚か者。」

みたいな考え方が頭にあった。

 

 

キリスト教、仏教的な。

そうすれば報われる、極楽浄土に行ける、みたいな。

だから、ずっといろんなことを我慢していた。

 

 

▼「苦しい修行に耐えぬけば、悟りがひらける」って信じたまま亡くなった、修行僧のせいかもしれない…!

参考記事:なぜか困難に自分から突っ込んでいってしまう原因が分かった[ボディートーク実体験]

 

 

あと、小学校2年生の頃に、「誰に対しても平等に、優しく接する!!」って強く誓った覚えがある。

母親(絶縁済)が弟をねこっ可愛がりをして、私を朝から晩まで怒鳴る、っていう理不尽なえこひいきをしていたから、”平等”に対する執着がものすごかった。

 

 

今の私は、

「優しい人にも嫌なやつにも、平等に優しくするなんて、それこそ不平等だよ。」

「嫌なやつとは、話し合っても分かりあえない。距離を置いて、身を守るべき。」

「優しい人は優しい人同士、嫌なやつは嫌なやつ同士、合う人同士で交流すべき。ミスマッチこそ不幸。」

「他人じゃなくて、他人を許せない自分を許すんだよ。」

「ハンムラビ法典(目には目を、歯には歯を。)、もしくは、半沢直樹式(倍返し)でいこう。」

っていう考えになってる。

 

 

▼堺雅人さん、大好きです。

 

 

でも、誰に対しても優しく、平等に、広い心を持とうとすればするほど、怒り・悲しみ・心の傷・不安がどんどん溜まっていったように思う。

 

 

「他人に優しくする人は、報われる」

「正しい行いをする人は、救われる」

っていう期待だけを頼りに、我慢に我慢を重ねてた。

 

 

期待というか、見返り。

しかも、とっても激しいやつ…!!

 

 

だから、他人と接するとき、無意識に他人に対して過度な期待と執着を燃え上がらせていたのだと思う。

 

 

「私は誰に対しても優しくします!!広い心で接します!!正しい振る舞いをします!!」

「だから、あなたも良い人であってね。」

「正しい振る舞いをする人であってね。」

「私があなたに優しくしたのに、あなたが不道徳な振る舞いをしたら、『なんでこんなやつにまで、優しくしなきゃいけないの!!』って絶望に突き落とされてしまうから。」

「自分が優しくした人が、人をあざむいて誰かの心を傷つけたり…、とか耐えられない。」

「自分が助けた人が、ひどい運転で交通事故を起こして誰かを…、とか死んでも受け入れられない。」

「優しくして良かった、って思うような振る舞いをしてね。」

「裏切らないでね。」

「お願いだから、私の今までの膨大な忍耐を、無意味なものにしないでほしい。」

っていう、とんでもない執着。

 

 

いやだああああーうっとうしいーーー😂😂😂

 

 

無意識に、相手の心が純粋か、誠実か、優しく接する価値がある人なのか、じーっと見張って監視してたように思う。

「この人は不道徳だ。筋が通ってない。ちゃらんぽらんな姿勢で他人を傷つける人だ。」

「この人、無理!嫌だ!!」

って判断したら、即、心のシャッターを下ろして自衛できるように。

 

 

そんなことをするなら、最初から人を見る目を養って、好きな人とだけ付き合えばいいのに…!

隣人愛などが、がっちがちに手かせ足かせになってしまっていた。

 

 

「なんか人と話すときに力が入っちゃうなあ~なんでだろ~」

っていう形のはっきりしない気持ちを、じーっと観察して、もやもやした感情を言語化していったら、こういう心理が見えた。

 

 

理由が分からないと漠然と不安になってしまうけど、分かってしまえば気楽だった。

 

 

マインドフルネスをして、

「こういうふうに思ってたんだな~」

って感情を浄化していったら、お腹のあたりにあった”よどみ”がどんどん軽くなっていった。

参考記事:[アダルトチルドレン克服ワーク3-6]過去のトラウマを浄化する。(マインドフルネス)

 

 

その後、人と話したとき、気持ちがすごく軽くなってるのに気づいた。

軽くなりすぎて、ほんの少しだけ相手の話をややテキトーに聞いてしまったりして(申し訳ない)、

「私、テキトーに聞いてる!!初めての経験!!」

って驚いた。

 

 

(今まで、人の話は100%すみからすみまで、録音してるんじゃないかってくらいつぶさに聞いてたから。。)

(話をうまく受け流す人の感覚が、生まれて初めて分かったよ。。)

 

 

「話すときに、なぜか力んでしまう」

という人は、その根っこにどういう感覚があるか、深堀りしてみて。

 

 

私のような理由があるかもしれないし、

「そういえば、過去のこの経験のせいかも…」

「こういう失敗をしたから、怖くなってるのかも…」

とか、出てくるかもしれない。

 

 

自分でつかめたら、人と話すのがすっとラクになるはずだよ。

 

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