アダルトチルドレンを克服したら、どう生きたら良いか分からなくなった、というお話です。
(その後、ちゃんと豊かに生きる方法を見つけたので、それも後々書いていきます。乞うご期待。)
目次
アダルトチルドレンのときは、克服しか考えていなかった。
アダルトチルドレンだった頃は、毎日生きづらさを解消することしか考えていなくて、
「この苦しみさえ解消されたら、毎日幸せに生きられる!
だから、とにかくメンタルケアを完了しよう!」
と思って生きていました。
その後、メンタルケアを重ねて、26歳でアダルトチルドレンを克服しました。
26~31歳頃は、さらにスピリチュアル的な問題を解消して(前世療法、人の念等)、心も身体も軽くなりました。
「生きづらさが消えた。
これで私は幸せに生きられる。」
と思いました。
が、「生きづらさを解消する」という目標が無くなると、今度はどう生きていいか分からなくなりました。
毎日の家事がつらくてできなくなった。
まず、毎日の家事ひとつひとつが、とても重く、つらくなりました。
それまでは、「生きづらさを解消する」という目標が生きる原動力でした。
そして、その一環で他のこともこなせていました。
例えば、洗濯物をたたむことだったら、
「◯時からノートを使ったメンタルケアをしたいから、その前に洗濯物をたたむの終わらせよう。」
という感じです。
「行こうとしている目的地があるから、途中のハードルも飛べる」
みたいな。
でも、「生きづらさを解消するという目標」が無くなると、あらゆるハードルが飛べなくなりました。
衣食住の小さなことさえ、とにかくめんどうくさくて、重くて、越えられないのです。
洗濯物をたたむのつらい。
トイレットペーパーの補充もつらい。
ごみ袋の交換もつらい。
それをやって、何が得られるの?
その先になにがあるの?
と感じてしまって動けないのです。
料理なんて特に重くて、考えるだけで泣きそうになりました。
衣食住すべてが無理、つらい、重い、耐えられない、と絶望していました。
新しい目標を探したけれど、見つからない。
「目標が無くなったから、道に迷ってしまったんだ。」
「『生きづらさを解消する』に代わる、楽しい目標を立てれば良いんだ。」
と思いました。
でも、色々探しても、新しい目標は何も見つかりません。
見つからないというか、何を考えても、
「それをやったとして、だから何なの?」
という感覚になるのです。
「世界各地を旅行したとして、それが何なの?」
と。
「心からの願望じゃないから、そう思うのかな?」
「新しい目標が見つかるまで、つらいままってこと?」
「新しい目標を探すことを目標にして生きれば良いのかな?
でも、その目標って死ぬまでに見つかるの?」
と、混乱しました。
生きることを楽しむ感覚を知らなかった。目標を達成する生き方しか知らなかった。
結論、こうなったのは、目標を達成する生き方しか知らなかったためでした。
私は、アダルトチルドレンを克服するまで、「生きることを楽しむ」という感覚がありませんでした。
なので、克服後も、その感覚が欠けていました。
洗濯物をたたむことも、本来なら生活を作る大切な行動なのに、
「他の具体的な目標の足手まといになる、時間泥棒なタスク。」
「さっさと終えるべき、無意味なルーティンタスク。」
と感じてしまっていました。
「目標の達成」につながること以外の行動は意味がない。
毎日の衣食住のような、自分で自分の生活を心地良くしてあげる行動も、価値がない。
そう思っていたために、自分の行動ひとつひとつを肯定できずに、苦しくなっていたのでした。
まとめ。新たなフェーズ。
「生きづらさを克服したら、今度はどう生きれば分からなくなってつらくなった。」
と他の方に話したら、
「それは、次のフェーズに上がったってことだよ。」
と言われました。
「なんとなく思っていたけれど、やっぱりそれかーーー。」
と思いました。
▼私の結論。
参考記事:ときめくことだけやって、やりたくないことをやめると無気力になる。