自信の無さ。
これを引き起こしていた原因。
わたしの中にあった内面的な制限。
「傲慢になっちゃいけない。」
自分の中に制限があるから
他人にも同じように制限を望む
自分のそれが許せてないから
他人のそれも許せない
引用:Happyちゃん公式ブログ(現在削除済)
私も、以前は
自分に自信が持てませんでした。
というか、
自分の中で自分に自信を持てても、
それを外側に出すことができませんでした。
そこにも、ブロックがありました。
知人が、よく、
「俺は勉強もスポーツも、
何でも努力しなくても
できちゃう方だったから…」
って言ったりします。
そのたびにものすごい怒りが湧いてしまって。
「自信を持つのは大切だけど、
それを口に出して言うなんて!」
「仕事で自分をアピールする
場面でもあるまいし!」
って腹がたったのです。
「自分は学歴コンプレックスとか
無いのに何でだろう?」
(知人と学歴・生い立ちもほぼ一緒。)
って不思議でした。
でも、最近やっと分かったのです。
「できない人を見下す人が許せない。」
「なぜなら、自分が本当はしたいのに、
我慢してることだから。」
という本心のせいでした。
私は本当の本当は、腹の中では、
こう思っていたのです。
「努力もしないで、
できる人を妬んだり、
批判するやつなんて死んでしまえ。
真面目に生きてる人の妨害すんな。」
「そういうやつは
どこか離島で、似た者同士集落を作って
真面目に生きてる人と一切交流しないで
愚痴を吐きながら生きてればいい。」
「『痩せたーい』って言いながら
ダラダラ食べ散らかして
『痩せてる人は努力せずに
痩せる体質なんだよ。』
って妬む人とか、どっか行け。」
(失礼、今回の私は黒い部分炸裂です。)
ただ「できない人」は
なんとも思わないのですが、
「何もしない上に、他の人を批判する人」
が許せないのです。
でも、清く正しく優しく
広い心の持ち主でありたい自分が、
「そんなこと言っちゃかわいそうだよ。
頑張ってもできない人だっているんだよ。」
「人を批判する人だって、
うまくできなくてそうなっちゃったんだよ。」
「自分のスキルの高さをひけらかす人は、
自分の環境に感謝ができてない。
全部自分の優秀さのおかげだって思ってる。
できてない人の境遇が分かってなきゃ。
努力してもできない人の
気持ちを汲み取ってあげなきゃ。」
「できない人の気持ちを
汲みとらなければいけない。
できない人を傷つけちゃいけない。
できることを口に出したら、
できない人が自己嫌悪を感じて傷つく。
だから絶対言っちゃいけない。」
「できてない人を見下すなんて傲慢だ。」
って反論していたのでした。
東大の上野千鶴子先生の祝辞みたいですね。
でも、
本当の気持ちを押さえつけてるせいで、
知人の自由な発言に憤慨していたのです。
「挫折した経験が無いから、
あなたはそんな風に、
人の心の痛みが分からない
人間になっちゃったんでしょ!」
「自分のスキルを好き放題ひけらかして、
できない人の心を傷つけてきたんでしょ!」
って怒りも湧いてました。
でもそれはダミーでした。
本当は、自分の中にある、
「できない上に愚痴る人」を
軽蔑した怒り。
「なんでたいした努力もせずに
人に攻撃するやつの背景なんか
汲みとらなきゃいけないんだよ!」
っていう、うんざり感。
そして、それを口に出して、
「こういう奴ら大っ嫌い!」
って言いたい、という本音でした。
自信の無さを受け入れるんじゃない
自分の中の傲慢さを受け入れる
私の場合は、
「愚痴る人への怒りを受け入れる」
「愚痴る人を見下す気持ちを受け入れる」でした。
これができてなかったから、
いつも謙虚でいなきゃいけないって思っていたようです。
「自分のスキルに自信を持ってます」
って言えなかったし、
言っちゃいけないと思ってました。
どんなに頑張ってスキルを高めても、
「自分、できます」って
堂々といれなかったです。
自分よりスキルが低い人に
上から目線な言い方されても、
強く反発できなかったし、
自信の無さにもつながっていました。
「愚痴る人に怒っていい。」
「愚痴る人を見下していい。」
心の中で何回か繰り返した。
そしたら、
今まで許可されてなかった本心が
「えっいいんですか?!
そんなこと思っちゃって!!」
ってそわそわしだしました。
待ってましたとばかりに。
いいんだよ。
どんな思考も、感情も、
全部OKだよ。笑
***
愚痴る人に怒りを感じても
口には出さないですよ。笑
でも本音が許可されたことで、
またひとつ心が開放されました。
私は、
「自分大好き!自分最高!♡」
という考え方の、
松浦亜弥ちゃんや、
漫画『弱虫ペダル』のキャラ・東堂尽八
が大好きです。