「めんどうくさいこと、気が重いこと、怖いことをやると、人生が回る」
というお話です。
目次
「ときめくこと」をやると人生がまわる、ということは知っていた。
私は、「ときめくこと」をやると、人生が回るということは知っていました。
なので、ときめいたことは、全部実行に移していました。
▼気になっていたものを食べたら、色々ひらめきました。
参考記事:頭の中に来たものは、全部出す。
▼気になっていたものを買ったら、価値観が変わりました。
参考記事:地球を豊かに。目線が私(I)から私たち(we)に変わるとき。
▼気になっていた漫画を読んだら(弱虫ペダル)、ロードバイクにハマって、旦那氏に出会いました。
参考記事:しんどい友達・恋人との縁を切ると新しいご縁が入ってくる。私はしんどい友達と離れたら結婚した。
「やりたくないこと」をやっても、人生が回るということを知った。
でも、ときめくことだけやって、やりたくないことを全部やめたら、無気力になりました。
参考記事:ときめくことだけやって、やりたくないことをやめると無気力になる。
やりたくないことをやっても、人生が回るということを知りました。
そういえば、クライアントさんへのボディートークセッションでも、同じようなことがありました。
▼冷蔵庫の中の整理をしたら、やりたい仕事が見つかったり。
参考記事:[初心者CBPの教科書Q-12]フォーミュラの説明に悩む。
「気になることをやる」が正しかった。
おそらく、「ときめくこと」をやると人生が回るでは、理解が足りなかったのだと思います。
正しくは、「気になること」をやると人生が回る」、だったのだと思います。
「気になること」には、ときめくこと以外にも、こういったものも含まれています。
▼気になること
- ときめくこと
- めんどうくさいこと
- 気が重いこと
- 怖いこと
- やりたくないこと
- 無駄に見えること
- それやって何の意味があるの?と思うこと
- できるか分からないこと
- 現実的ではないと思うこと
etc…
そして、「気になること」は完了しない限り、ずっと心の中に残ります。
むしろ「気になること」をやらないと、人は生きられないのでは?
「むしろ、こういった『気になること』を完了していかないと、私たちは生きられないのでは?」
と思いました。
「気になること」を放っておくと、生命力が減ります。
人生に対して受動的になっていきます。
▼やりたくないことをすべてやらなくなって、無気力になった人います。私です。
(再)参考記事:ときめくことだけやって、やりたくないことをやめると無気力になる。
人間は魂のレベルを上げて、より光り輝く存在になるために生まれている、という説があります。
そして、より光り輝く存在になることを、ボディートークでは、「エンライトメント」と呼びます。
もし、人間がエンライトメントをするために生きているのだとしたら、
エンライトメントをしない
=人間の営みを放棄している状態
=人間を生きることを放棄している状態
→無気力・うつになる
ということなのでは、と思いました。
極論、
「エンライトメントをするために生きている」
というより、
「エンライトメントをしないと生きられない(=生きるための生命力が保てない)」
のでは?と思います。
(実際、私は保てませんでした。)
あと、こういった「気になること」をやらないと、永遠に死ねないのでは、とも思います。
もしかしたら、前世までの未完了のタスクがあるから、また生まれて未完了に取り組むのでは、と。
つまり、今世で未完了があるなら、来世に繰り越しすることになるのではないかな、と。
ちなみに私の記憶が確かなら、私は「人の優しさを知りたい」という課題があったから生まれてきたわけです。
参考記事:私の生まれる前の記憶。私は自分で毒親家庭を選んだ。[スピリチュアル]
未完了を完了させるために、生まれてきたというべきなのか。
未完了があったから、生まれてしまったと言うべきなのか。
良いことか悪いことかは、分からないですが。
何も未完了が無かったら、人は生まれないのでは、と思います。
タスクがめんどうくさいのは、変化に抵抗しているから。
「気になること」がめんどうくさいのは、単に「人間は変化を嫌う生き物だから」です。
めんどうくさい、気が重い、怖いという感情は、変化への抵抗です。
「見知らぬ天国より、見知った地獄」が好きなのです。
コンフォートゾーンを出たくないのです。
- その行為自体に慣れていないから、抵抗を感じる。
- そのタスクを完了をした後に、新しい景色が待っているから、それに抵抗を感じる。
でもきっと、そういった抵抗の気持ちが強ければ強いタスクほど、それを完了したら大きく進化するのだと思います。
進化は変化です。
タスクに抵抗感じたときは、
「しょうがないなー私は人間だからなー変化を嫌う動物だからなーしょうがないなー」
とぼやきながら、取り組めば良いのだと思います。
これをやって何の意味があるの?は考えない。
「気になること」の中には、「これをやって何になるのだろう?」と思うものもたくさんあります。
でも、「何の意味があるの?」は、考えなくて良いのだと思います。
私は、自分の世界の神様は自分であって、「肉体を持っている三次元の自分」より、「もっとメタな位置から俯瞰的にこの世を見ている自分」がいると思っています。
(Aさんの世界の神様は、Aさん。
私の世界の神様は、私。)
※以下、
- 「肉体を持っている三次元の自分」
→ミクロの自分 - 「もっとメタな位置から俯瞰的にこの世を見ている自分」
→マクロの自分
と書きます。
そして、生まれる前の人生設計も、「ミクロの自分」の進路調整も、「マクロの自分」が決めていると思っています。
なので、「気になること」というのは、「マクロの自分」が人生を俯瞰的に見て、「これをする必要がある」「これが一番最短距離」と考えて設定したこと。
だから、「ミクロの自分」が分からないことも、たくさんあるはずだと思うのです。
そして、進むべき方向に気づくために、「気になる」というセンサーがつけられています。
例えば、私にはメジャーリーガーになる人生設計がされていないので、「野球」には特に心が反応しません。
もし「マクロな自分」が、メジャーリーガーの大谷選手のようになるよう設定していたら、私の「気になること」の中に、野球が入っていたでしょう。
まとめ。気になることは全部やる。
ときめくこと以外でも、気になることは完了していってみましょう。
- めんどうくさいこと
- 気が重いこと
- 怖いこと
- やりたくないこと
- 無駄に見えること
- それやって何の意味があるの?と思うこと
- できるか分からないこと
- 現実的ではないと思うこと
全部。
人生が回るのを実感できるはずです。