先日のセミナーは、とにかく私の自己満足を満たすために開催したものだった。
参考記事:楽しいことは雪だるま式。「これやりたい!」を叶えると次の願いが降ってくる。
「セミナーやりたい!」
「マジックハンズの解剖生理学の通信講座、すっごく楽しかった!」
「楽しかったって気持ちをどこかに出したい!」
「私の欲求を満たすために付き合ってくれる人(お客さんになってくれる人)、いませんか~」
っていう感覚。
もし誰も来なかったら、セミナー練習がてら当日会場で一人セミナーしようと思ってた。
(どこの不思議ちゃんかな。)
スライドは、自分が好きなデザイン炸裂で。
内容は、講座を受ける前に自分が知りたかった内容てんこもり。
もし私がセミナーを見たら、
「キャアアアアアステキイイイイ!!!!(*♡∀♡*)」
ってなる物を目指して。
とにかく、自分の欲求を満たす。
お客さんは少し前の自分。
自分に集中。
自分に集中。
自分に集中しさえすれば、
自分を満足させてあげさえすれば、
周囲に流れ弾が当たるんだッッッ!!!
エネルギーの渦を巻き起こせるんだッッッ!!!
って思いながら準備した。
そしてセミナー後には、嬉しいお言葉をたくさんいただいた。
「えっそんな、いたれりつくせりしてくれるの?」
「まじか…。ここまでしてくれるんだ…って思った。」
「(あなたは)惜しみなく与えてくれる」
「惜しみなく提供してくれる」
(↑「惜しみなく」という言葉、二人からいただいた。)
おおーってなった。
過去の私は、自分に配慮することは1mmもせずに、他人に全精力を注いでいた。
(アダルトチルドレン克服前の話ですよ。)
とにかく周囲の人に気遣って気遣って、貢献して貢献して、尽くして尽くして、みたいな生き方だった。
自分をないがしろにして、自分を犠牲にして、ボロボロになってまで他人の満足感を追い求めてた。
(抵抗しても毒母からの虐待が止まらなかったので、毒母の機嫌をとりさえすれば、自分の安全が確保されると勘違いした。
そして定着してしまった。)
でも、毒母をはじめ、他人からの反応はキツイものばかりで、
「どうしてこれやってくれないの!!」
「こんなこともできないのね!!」
「もっとこうしなさいよ!!」
みたいな、さらに重荷を課すような暴言をたくさん浴びせられ続けてきた。
どれも重箱の隅をつつくようなことばかりだった。
過剰な要求のオンパレードだった。
全力を尽くして、自分しかできないスキルでチームを支えたときに、
「ねえ、今日あなた働いた??(←この人は、嫌味じゃない。本気で言ってる。)」
って丸ごと無視されて、愕然としたこともあった。
(成果が認められたのは退職後だった。)
なので、常に、
「私はどこまでやったら認められるの…?」
「どこまで頑張ればいいの…?」
「えっ…私はこんなに身を粉にしてても罵倒されてるのに、何もしてないあの人は、どうして可愛がられてるの?優しくされてるの…?なんで…?(例:弟)」
「どうして私だけ、合格点が絶望的に高いの…?こんなに求められるの…?」
ってゼエゼエよろよろしていた。
一方、自分が好き放題やったことが周囲から大絶賛されたり、感謝されたりして、
「なんか…喜ばれてる…」
って思ったこと、よくあった。
宇宙理論を知って、それまで、
「理不尽だ…」
「ありえない…」
「この世界はおかしい…」
と思ってたあらゆる現象に、初めて筋が通った。
「自分に優しくすると、世界が自分に優しくなる。」
「自分を否定すると、世界が自分を否定する。」
「行いが良いか、悪いか、正しいか、間違ってるかじゃない。」
シンプルにこれだけなんだって理解した。
「とにかく自分を満たすんだ。」
「とにかく私が良い気分でいられるように。」
「もう他人の目はすべて無視するんだ!!」
って徹した。
そしたらこれですよ。
この反応ですよ。
いただきましたよ。
むふふ。
思いましたね。
勝ったぜ。
(宇宙の真理にね。笑)
”あなたが良い気分でいること以上に大切なものは何もない。”
これだけですよ。
忘れないでね。